總持寺

畳千畳分の広さの大祖堂がある總持寺

もとは石川県に建てられた諸嶽寺を、1321年に太祖瑩山禅師が諸嶽寺總持寺と改めたのが總持寺の始まりといわれています。
明治には焼失し、横浜市に移転、交通の便もいい場所に移転したころもあり、世間に開かれた禅苑として、また国際的な禅の道場としても名前を知られています。

大祖堂は畳千畳分あるという大きさで、宝蔵館には仏像をはじめ縦横文化財とされる古文書など、数々の品が所蔵されています。
境内は自由に参拝できるようになっていますが、諸堂を1周する1時間コースに参加すると、この總持寺で修行されている修行僧のお話を聞きながら拝観できるようになっています。
毎月指定されている日が自由参加の座禅会となっているので、座禅に興味がある方は行ってみるといいでしょう。

国際的な禅苑という立場

總持寺は、横浜の郊外にあります。
東京湾と房総半島を臨む美しい景勝地にあり、霊峰富士も見ることのできる素晴らしいところです。
鶴見が岡にあり、鶴見が岡駅から歩いて5分という立地条件にあるため、国際的な禅の道場という事で、非常に多くの人たちが禅を親しみに来られます。

15万坪という広大な敷地を持ち、数々の諸堂があり、能登總持寺の開創より591年という明治44年には、大きなお式も行われたのです。
ここには幼稚園、中学校、高校、大学など学びの場があり、地域の教育という事についても、貢献されているのです。
本山においては各種教化事業も推進し、地元の根付き、またグローバルな目をもって広く、禅を広めているお寺さんです。

焼失による移転

瑩山禅師によって開かれて以来、1万以上の寺を方形寺院として擁す大本山總持寺は、地域の人々の信仰、さらには全国各地からの信仰もあり、能登という地で570年という長きにわたり、歩みを進めてきたのですが、大きな厄災にあってしまいます。
明治31年の事です。
4月13日の夜、本堂の一部から出火し、それがフェーン現象などを受け一気に燃え広がり、その猛火は全山に広がりを見せ、慈雲閣・伝燈院だけを残して焼失してしまったのです。

非常に大きな火災で、止めようもなかった火ですが、能登でのこの大火は總持寺の歴史に大きな変革をもたらしました。
復興のみではなく、本山存立の意義と現代的な使命を明らかにし、行動していくためにも、大きな決断を持って明治30年、宮許され、寺基を現在の場所に決めたのです。

總持寺は現在、非常に広い敷地を持ち、地域の方々、また文化の拠点としても深く浸透しています。
沢山の人々が気軽に訪れる總持寺に行くとすがすがしい気持ちになるといわれます。
迷いがあったり、悩みを持っているという人は、總持寺で禅に参加されてみてはどうでしょう。